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死の価値観

英米文学の講義で「今を生きる」という映画を見た。
1989年のアメリカの映画である。

規則が厳しいエリート高校を舞台にした映画で、登場人物たちはその厳しい規則に窮屈な思いを強いられる。
そんな中で一人の破天荒な教師と出会い、自由な生き方を生徒たちが求めるという映画である。

英米文学の講義の目的は「映画、詩、小説と触れ合うことでその作品の中の登場人物の人間像をつかんだり、彼らの心の動きを読み取る」というものだ。
今回の「今を生きる」という作品を見たあとのレポートでは

「登場人物の中でどんな葛藤が誰と誰の間(または誰の中)で起こり、それは解決されましたか?」という一つのテーマがあった。
この作品には一つ大きな葛藤があり、それが物語を大きく左右していたのでそこを読み取らせようと教授は考えていたのだろう。
以下はその葛藤についてである。





厳格な父を持つニールは小さいころから父の言いなりで過ごしてきた。
そんな彼は高校まで勉強一筋で生きてきた。そして高校卒業後も医者になれと父親に言われてきた。
そんな彼が高校で『劇』に興味を持ち始める。

彼は熱心に練習し、とある劇団の公演に主役として出れるようになった。
しかし彼の父親が賛成するはずもなく、出演を断るようにと命令される。

落ち込んでいた彼の悩みを聞いた破天荒な教師として知られるキーティングは

「熱意を持って父親を説得するんだ」

と彼を勇気づけ、その結果公演に出させてもらえるどころか父親が公演を見に来てくれることになった。

無事公演を終えたニールを待っていたのは不機嫌な顔の父親。
ニールは父親に引っ張られ車に乗り込み家に帰る。


父親は
「あんな下らないものにうつつを抜かすな。お前は甘やかしてはいけないと解った。今の高校から陸軍学校へ転校させることにした。」
と言う。
それに反発しようとしたニールだったが、やはり父親には逆らえなかった。
その夜ニールは父親の部屋の戸棚にしまってあったピストルを持ちだし、自分の命を絶った。




ニールと父親の葛藤について書いた学生が多かったのだが、教授が紹介した中にどうも納得出来ない意見があった。

『ニールは自分の人生を自分らしく進みたいという気持ちと父親からの抑圧との間の葛藤を処理出来なかった。そのためニールは自殺をした。
この自殺は言わば辛い葛藤からの逃避だ。


ちょっと待って欲しい。
死ぬことが逃避だなんて軽々しく言ってはいけない。
上の意見を書いた学生は「ニールは葛藤から逃げた臆病者だ」とでも罵るつもりなのだろうか。

ニールが自ら命を絶ったのは逃避ではなく「最後まで自分の意志を貫き通した」行為に他ならない。
逆らうことの出来ない父親という存在と立ち向かった証なのだ。
もちろん私も命を絶ってまで自分を貫くのは正しいとは思わない。


この場合における逃避は「父親の言うことに従う」ことではないだろうか。
自分の気持ちを押し殺し、敷いてもらったレールの上を走る。それこそが人間としての『逃避』である。



チベット問題で僧侶が頭からガソリンをかぶり自らに火を付けてまでの中国に対する抵抗
下請企業の社長が、取引先の建物の前で首を切ってまで訴えたかった劣悪な契約内容と守りたかった社員、家族
ニールもまた、自分の命を捨ててまで自分の意志を貫き通そうとしたのだ。

命を絶ってまで「逃避」と貶すことに私は強い憤りを禁じ得ない。
命は決してそんな安いものではないからだ。


私もそうだが、今の若者は命を軽んじすぎていないだろうか。
「死ね」という言葉を吐く前に、命の大切さを知る必要があると私は考える。

にるにる

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